成田空港 空と大地の歴史館

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歴史の中に(5)

歴史の中に

新空港の位置が成田市に決まった1966年は、日本の民間航空史に残る航空機事故が多発した1年でした。
2月、札幌雪祭り観光客を乗せた全日空ボーイング727の羽田空港沖墜落事故。3月4日、濃霧による視界不良の中、カナダ太平洋航空ダグラスDC8の羽田空港着陸失敗事故。翌5日、BOAC英国海外航空ボーイング707が富士山付近上空で乱気流に巻き込まれ、機体が空中分解し落下した事故。8月、日本航空コンベア880が操縦士の技能証明試験飛行の際、羽田空港離陸に失敗し墜落炎上した事故。そして11月には、多くの新婚客を乗せた大阪発の全日空YS-11が松山空港着陸に失敗し伊予灘に墜落した事件と、5件もの航空機事故が相次ぎました。乗客の遺体捜索活動中に衝突、墜落したヘリコプターの犠牲者を含めて、この年の世界の航空機事故犠牲者の半数を占める380人もの尊い命が失われました。
 成田空港で人命を伴った航空機事故の発生は今までゼロ? 残念ながら1件記録されています。10年前の3月23日にフェデックス(米国)の貨物機MD-11が、強風下での着陸に失敗し横転炎上、操縦士2名が亡くなっています。

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