成田空港 空と大地の歴史館

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歴史の中に(10-2)

歴史の中に

 ルートは、東京地下駅から現在の京葉線とほぼ同じルートで東進し、荒川から先は地下鉄東西線の南側を並進し、西船橋駅の手前から北総線の千葉ニュータウン中央駅付近までほぼ直線で北東に向かい、それから先は北総線・成田高速鉄道アクセス線とほぼ同じルートで成田空港に至る計画でした。
 1974年に、当時の鉄道建設公団が空港側から工事に着手しました。しかし、この計画を「通過だけの沿線に利益は無い」として、東京都や千葉県西部の沿線住民や自治体などが激しく反対したため、用地買収もほとんど進まない状況になってしまいました。工事を進めることもできず、成田新幹線整備事業自体の成否が懸念されたことから、国は1977年に新幹線以外の方策で高速鉄道を整備する構想を発表します。
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